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就活生応援Interview“あの人の履歴書” vol.3 グラビア✕ゲーム・倉持由香の“スキサガシ” 「逆算思考で好きを見つける!」
「やりたい仕事が見つからない」「好きなことを仕事にしたいけど、好きなことがわからない」。悩み多き就活生に向けて、自分だけの「好き」を見つける“スキサガシ”を応援するインタビュー企画の第三弾。今回は、“尻職人”としてグラビア界に旋風を巻き起こした倉持由香さんにインタビュー。彼女の原動力はやはり、「グラビアが好き!」という強い思いでした。
女体に導かれ、グラビアアイドルの道へ
倉持由香
1991年生まれ。14歳で芸能活動を開始するが、なかなか芽が出ず、9年間の“地中生活”が続く。コンプレックスだった100cmのヒップを強調したグラビアで、“尻職人”の異名とともにブレイク。グラビアアイドルが自画撮りをSNSで発信する「#グラドル自画撮り部」部長。“人妻尻職人”となった現在はグラビアだけでなく、ゲーミングチーム「G-STAR Gaming」もプロデューサーとして率いる。2019年に「グラビアアイドルの仕事論 打算と反骨のSNSプロデュース術」を上梓。
Twitter:@yukakuramoti
Instagram:@yukakuramoti
────アイドルや女優、タレントになるための足がかりとしてグラビアの仕事をする人が多いと言われる中、倉持さんは当初からグラビアアイドル(以降、グラドル)が目標だったそうです。
倉持「幼稚園の頃から女体が大好きだったんです。『美少女戦士セーラームーン』や『キューティーハニー』を録画しては、変身シーンで艶めかしいボディラインが出てくるところで一時停止したり、勉強で使うノートに裸の女の子のイラストを描いたり、リカちゃん人形の服を引っ剥がして裸を観察したり。竹やぶに落ちてるアダルト本を男子に混ざってペリペリめくったりもしてました(笑)。
親に自分が描いた女体のイラストを見られたときは、子どもながらに『ヤバいかも』と思いましたが、好きなものは好きなので。今でも趣味はアダルト漫画を読むこと。女体のむっちりとした肉感が表現されている作品が好きですね(笑)」
────そんな倉持さんですが、そもそもなぜグラドルを目指したのでしょうか?
倉持「絵を描くのが好きだったのでイラストレーターにも憧れましたが、グラビアアイドルという職業を知って、自分がグラドルになれば『こういうグラビアが見たい!』という自分の頭の中にあるイメージを手っ取り早く表現できる! と思ったんです。
雑誌の表紙を飾って、コンビニの雑誌コーナーで目が合うアイドルになる!それが、私の目標でした」
────13歳でアイドル番組のオーディションに合格し、14歳で芸能事務所に所属。親からは当初反対されましたが、小学校5年生ぐらいから不登校&引きこもり気味だったこともあり、自ら外の世界に飛び出そうとする娘を応援してくれたそうです。
倉持「オーディション用の写真は母が家の前で、『レンズ付きフィルム』で撮ってくれました(笑)。
不登校になった理由は、とにかくルーティンが苦手で……。毎日同じ時間に同じ場所に行くことにどうしても耐えられなくて、小中高とずーっと不登校でした。
1年浪人して入学した大学も、一留して結局中退。免許を取ろうとして自動車教習所も通ったんですが、途中で行けなくなってしまって。34万円無駄にしてしまいました。めちゃくちゃダメ人間なんです。
そういった性質を自分が一番よくわかっていたので、普通の会社に就職するという発想は全くなかったですね。万が一内定をいただけたとしても、すぐに出社拒否状態だったと思います(笑)」
芸能界入り後、9年間続いた下積み時代
────14歳から4年間在籍した芸能事務所では、お茶くみや電話番などの雑用係。20歳で移籍した現在の事務所の初任給は、なんと5,000円だったといいます。
倉持「雑誌のグラビアは基本ノーギャラなので、撮影会などで家賃分を稼ぎ、ファンの方からの乾麺やレトルト食品などのプレゼントで飢えを凌いのでいました(笑)。ネットカフェ難民のときもありましたし、グラドル仲間の家に居候していた時期もあります。実家が砂壁のボロい家だったコンプレックスもあり、『いつか自分の稼ぎで綺麗なタワーマンションに住んでみせる!』と思ってましたね。
もちろん生活は厳しく、アルバイトをしているグラドルの子も多かったんですけど、私はしませんでした。『バイトがあるのでオーディションに行けません』となったら本末転倒ですし、それはアイドルじゃなくてフリーターになっちゃんですよね。意地でもこの仕事で食べて行こうと思っていたので。
私の場合、普通の仕事は能力的にそもそもできないので、グラドルで食べていけなかったら死ぬしかない。でも、のたれ死にたくないから死ぬ気で頑張るしかない! という発想でした(笑)」
────現状を打破するために、倉持さんはグラビア業界の状況を冷静に分析。自分に何ができるかを研究し、工夫し続けたといいます。
倉持「イエローキャブさんなどのイケイケなグラビアが大人気だった黄金時代が終わり、グラビア雑誌が次々と廃刊となったことでグラビアアイドルは絶滅危惧種のようになっていました。そこからグループアイドル全盛期に入り、雑誌の表紙はほぼAKB48さんが独占しているような状態となり、グラドル氷河期がやってきました。
そんな中で、どうしたら『グラビアで天下を獲った』と言えるんだろう? と考えた結果、貴重なグラビア雑誌の生き残りである『週刊プレイボーイ』の表紙を飾ったらトップグラドルの仲間入りだろうと思ったんですよね。
そこからは、『週刊プレイボーイ』の表紙になる人がどれくらいの知名度で、他にどんな仕事をしているのか、DVDを何枚くらい出しているのか、そのためには何をすればいいのかと、大目標から逆算して、中目標、小目標と、細かく分析していって。その分析結果をもとに『今年中にフォロワー◯万人を目指そう! そのために今月は何を、今週は何を、今日は何をしよう』と、一個一個小さい目標を決めていきました。
私、本当にダメ人間なので、『ビッグになるぞ!』っていうようなふんわり目標だけじゃ何を努力すれば良いのかわからなくなっちゃうんです」
────ズルをせず、ラッキーを当てにせず、地道にひとコマずつ進む倉持さんを支えてくれたのは、意外にも、漫画『はじめの一歩』に登場する鴨川会長の言葉だったそうです。
倉持「『努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!』。この言葉は刺さりましたね。努力せずに成功する人は居ない。顔が良くてスタイル抜群の子が大勢いる世界で私が上に行くためには、他の子の何倍も何十倍も努力しなくては! と決心しました。
私は、努力の方向性と量が適切だったら必ず前に進むと思っているんです。努力しても芽が出ない場合は、たぶん方向性が間違っているか、量が足りていないことが理由だと」
人気グラビアアイドル“尻職人”倉持由香誕生!
────『週刊プレイボーイ』の表紙を目指して努力していた倉持さんは、当時グラビア界の頂点に君臨していた篠崎愛さんを見上げ、ある大きな決断を下しました。それは、「自分の山を作る」というものでした。
倉持「篠崎愛ちゃんに続けとグラドルの皆が富士山を駆け上がっていた頃、私はずっと『登山口どこ?』と山への登り口も見えない、まさに樹海で彷徨っているような状態だったんです。オーディションに行く度に打ちのめされ、DVDの面接で『君の作品が売れるとは思えない』と言われ、悔しくて泣きながら帰ったこともありましたね。
それでも『いつか見返してやる!』という気持ちと『タワーマンションに住む!』という目標をエネルギーに踏ん張り、ようやく『あっ、富士山の登山口が見えたかも』という時には、大手事務所の子達はヘリで山頂に舞い降りてるんですよね(笑)。
このままじゃ山頂にたどり着けない! と思い、、どうにかしないと……と、色々考えました。考え抜いて出した結論が、私は周りと同じ山に登るのをやめよう。小さくてもいいから、私だけの山を作ってそこの山頂に立とう! だったんです。それで『尻の山』を作ったんですよ(笑)。
────その後倉持さんは、100cmのヒップを強調したグラビアで、他のグラドルとの差別化に成功。“尻職人”のキャッチコピーもハマり見事にブレイク! 発売したDVDはAmazonで売上1位、地上波のバラエティ番組で知名度もアップ。『週刊プレイボーイ』の表紙も飾り、念願のタワーマンションでの生活もゲットしました。一方で、「#グラドル自画撮り部』なるものをスタートさせます。
倉持「グラドル氷河期で、ただでさえ少ないパイをグラドル同士で奪い合っても仕方がないなと思ったんです。グラドル皆で力を合わせて、自分たちに興味を持ってくれる人を増やそうと。
セクシーな写メに共通のハッシュタグを付けてTwitterに投稿すれば、ファンは推しを見つけやすいし、編集者やスポンサーさんの目に留まる可能性もある、グラドルはフォロワーが増えやすくなる! と考えたんです」
────ここでも、グラビア業界全体を見据えた視点が光ります。
倉持「私はグラドルが大好きなので、『あの子よりも上に行く!』みたいな野心というか、他の子を蹴落としたい気持ちはないんですよね。グラビア業界が盛り上がって、雑誌でエッチなグラビアがたくさん見られたらそれで幸せなので(笑)。
グラビアはタレントさんや女優さんになるための手段になりがちですが、私にとっては芸能界での目標。グラビアアイドルという職業の地位を向上させたいし、グラビア業界全体を盛り上げていきたいという気持ちが強くあります。
もちろん需要がある限りは、私もグラビアで頑張りたいのですが、産後太りがなかなか解消できなくて水着になれないので(笑)。これからは後輩のプロデュースにも力を入れていきたいですね。自分の理想のグラビアを表現できるのであれば、別に自分が表に出ずに裏方に回っても構わないので」
倉持由香の新たな挑戦! グラビア✕ゲームという可能性
────プロデュースといえば、倉持さんは、近年、ゲーミングチーム「G-STAR Gaming」のプロデュースも手掛けています。
倉持「新たなゲーマータレントを育てようということで、事務所で新規に募集をかけて生まれたのが女性eスポーツチーム『G-STAR Gaming』です。選考基準はゲームへの愛はもちろん、受け答え、挨拶、遅刻をしないなど、常識的な部分を重視しました。ゲームが好きなおもしろい女の子を探したいと思って、書類審査が通った方は全員私が面接しました。
うちの事務所や私の仕事など、すごく調べてきてくれる方だったり、ゲームは上手くないけれど、興味もやる気もあるということを、具体的なエピソードを交えて伝えてくれる方だったり。色々な人と面接しました。皆、好きなことを喋っている方は、目が輝いていて楽しそうでしたね」
▼参考記事
鉄拳のプロeスポーツ選手・チクリンと鉄拳コスプレイヤー・ユリコタイガーが語る”夢の叶え方”
────その「好き」が見つからなくて悩んでいる人へのアドバイスをお願いすると、倉持さんは「私は『グラビアしかない!』と決めて、小さい頃から生きてきてしまったので難しいですけど……」と悩みながら答えてくれました。
倉持「幼少期に何が好きだったか、何をしているときにキラキラしていたか、何をしているときの自分が好きか、生まれてからの20年を振り返る作業をしてみると『好き』が見つかるのではないでしょうか。
逆に、今までやったことがないけれど、気になることに色々とトライしながら、好きなことを探すのもいいと思います。30代になると、なかなか『好きなことで〜』とか言っていられないんで(笑)。私は長い下積み生活で、グラビアはもちろん、目標に向かって攻略方法を考える作業自体が好きなんだな、という発見がありました。
今現在の『好き』がわからない人は、10年後の自分をイメージして逆算するのもありだと思います。お金について考えることは大事だと思うので、今20歳だったら、30歳のときに年収をどれくらい稼ぎたいのかを想像する。そして、どんな場所や部屋に暮らしたいのか、結婚したいのか独身でいたいのかなどを考えていくと、自分が本当は何を大事にしているのかが見えてくるかもしれません」
────そして就活生へのエールは、ゲーム好きの倉持さんらしさ全開! ポジティブなパワーを込めてくれました。
倉持「人生はゲームだと思っておりまして。『自分クエスト』はどんなスキルを覚えるのか、どんな呪文を覚えるのか、どんな職業に付くのか、どんなダンジョンで戦うのかも全部自分次第なんです。こんな自由度の高いゲームってどこにもないので、すごく良ゲーだと思っております。
就活にめちゃめちゃ苦しんで、悩んで、この記事を読んでくださっている方もいると思いますが、あなたの自分クエストが素敵なエンディングを迎えられるよう、応援しております!!」
────あなたの『自分クエスト』には、どんなスキルや呪文が必要でしょうか。日研トータルソーシングには、様々なスキルが習得できる環境をご用意しています。また、新卒採用を積極的に行なっております。興味がある方はこちらをご覧ください!
(企画・編集:株式会社LIG / 取材・執筆:須永貴子/ 写真撮影:畠中彩/ヘアメイク:タケダナオコ)
▼倉持由香さん以外の“スキサガシ”はこちら
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