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偉大な歴史から学ぶ! 商売を大成功させた驚きのアイデア
「いいアイデアはないのか!」なんて、丸投げしてくる上司には困ったものですよね。
これだけ商品やサービスがあふれまくってるんだから、もう新しいアイデアなんて一滴も出ないよ!
なんて思いきや……「その手があったか!!」というアイデアで成功を手にしちゃう人が、実際にいたりするんです。今ではあたりまえのサービスや習慣も、昔むかし、だれかが思いついて始めたもの。少しでも成功者に近づきたいなら、残念な上司ではなく、偉大な先人たちから学んじゃいましょう!
1.日本最古のキャッチコピーは「土用の丑の日」説
「土用の丑の日」といえば、スーパーの店頭に、盛大にウナギが並ぶ日。
クリスマスやバレンタインデー、あるいは恵方巻きに匹敵するほどの風物詩ですよね。
一見はるか昔からの風習のようだけど、実は、たいして由緒正しくないって知ってました?
一説によれば、発祥は江戸時代。作ったのは、なんと平賀源内。そう!静電気を発生させる装置「エレキテル」で知られる蘭学者、あの平賀源内の創作だというんです。
そもそも、ウナギの蒲焼は、脂が乗る秋から冬にかけてが旬。夏の売れ行きは今イチでした。
困ったウナギ屋が相談を持ちかけたのが、アイデアマン・平賀源内。
ウナギが古くから精のつく食べ物とされていることに注目した源内は、「う」のつくウナギは、丑の日の縁起モノという語呂合わせを思いついちゃいます。
そして、ウナギ屋の前に「本日土用丑の日」と看板を出し、「土用の丑の日にウナギを食べて、夏を乗り切ろう!」とアピール。
すると「ウナギが効くらしいよ!」と、今風に言えば超バズったので、お店は大繁盛!
日本中のウナギ屋がマネして広まったというわけです。
つまり「土用の丑の日」は、キャッチコピー。
平賀源内は「日本最初のコピーライター」だったのです。今ではすっかり「ウナギの旬は夏」が常識に…。
キャッチコピーのチカラって偉大ですね〜!
2.驚きの方法で人気店に!財閥の基礎を築いた商人
越後屋といえば「お主もワルよのぅ」「お代官様にはかないませぬわ」でおなじみ。
時代劇では悪役の定番ですが、実際の越後屋は、良い意味でスグレモノの商人だったようです。
その正体は1622年、伊勢国(今の三重県)に生まれた三井高利。14歳で商いの世界に入った高利は、グングン頭角をあらわし、江戸に「三井越後屋呉服店」(越後屋)を開きました。
当時の呉服屋は、お客の家を訪れる外商スタイル。
着物1着分(1反)単位でしか売らず、価格は交渉制。代金はツケにして、お盆と暮れに集金します。のんびりしてますね〜(笑)。
そんな中、越後屋は、お客が店に来て、定価・現金で買う「現金掛け値なし」をスタート。
1反単位ではなく、お客がほしい分だけ売りました。現金販売なら取りっぱぐれがないので、価格も安めに設定。
お客がほしい量だけ、安く買えるんだから、喜ばれないわけがない!
今では普通のことだけど、当時は画期的なビジネスモデルだったんです。越後屋は大人気店になり、ついには幕府御用達の呉服店として栄えましたとさ。
もう1つ、高利が始めたのは「両替商」。
金・銀・銭という3種類のお金を、決まったレートで交換して手数料で儲ける新たなサービスを生み出したのです。
この両替商が、のちに三井銀行(今の三井住友銀行)になります。
三井高利は「三井財閥」、いまの「三井グループ」の基礎を築いたのです。あまりのスゴさが、やっかまれて、時代劇の悪役にされちゃったのかも?
3.皆感謝!?日本で初めてボーナスを支給した人
すべてのサラリーマンが待ちこがれる「ボーナス」!
私も大好きです。ああ、このありがたい制度、どなたが始めてくださったのでしょう……?
と、急に敬語になってしまうほど気になりますよね。いきなり答えを明かしちゃうと、岩崎弥太郎。
大河ドラマ『龍馬伝』でも圧倒的な存在感を放った弥太郎がボーナスの祖という説が有力です。
土佐(今の高知県)の貧しい武士の家に生まれた弥太郎は、土佐藩の貿易を担う商社、開成館貨殖局に勤務。
海外との取引を通じて、実業家として身をおこしました。幕末の激動の中、同郷の坂本龍馬が率いた商社「海援隊」で会計を務めたのも有名な話です。
明治維新後、弥太郎は海運商社「九十九商会」のトップに。これこそ後の三菱商会。弥太郎は三菱財閥の創始者だったのです!
明治政府の軍需輸送を独占し、大成功をおさめた三菱にもピンチはありました。
明治9年(1876年)、英国の大手海運会社ピー・アンド・オー(P&O)が日本周辺の航路に進出。価格競争が勃発したのです。三菱はリストラと経費削減を徹底しただけでなく、弥太郎自ら50%減給を宣言。社員も給与の3分の1を返上したというから、なんて美しき愛社精神ではありませんか!
6カ月にわたる攻防の結果、ついにP&Oは撤退。弥太郎は社員の奮闘をたたえ、給与ほぼ1カ月分の賞与を年末に支給しました!
これが日本初のボーナスといわれています。全サラリーマンの神、弥太郎サマに感謝!
4.まとめ
平賀源内のキャッチコピーも、三井高利のビジネスモデルも、岩崎弥太郎のボーナスも、今では世の中のあたりまえ。
結果が出た今でこそ「すばらしいアイデア」「スゴい情熱と行動力」なんてリスペクトされるけど、はじめは「何それ?」「大丈夫?」とディスられたこともあったんでしょうね。ということは、今すぐ結果の出ないチャレンジも、続けていけば、やがては時代を変えちゃうかも?
3人のレジェンドたちから、そんな勇気をもらえそうですね。あなたが日々続けている仕事の未来も、実は明るいかもしれませんよ!