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2019/08/06

「キングダム」よりも成り上がり!?頂点を掴み取った歴史的人物

知っ得!

突然ですがみなさん、『キングダム』の映画は観ましたか?
舞台は紀元前3世紀、古代中国の戦国時代。下僕の身分でありながら「天下の大将軍」を夢見る「李信」の成長を描いた歴史漫画が原作です。
後に始皇帝となる秦王・政をはじめ、数々の魅力的なキャラクターを生み出し、漫画は大ヒット!さらに先日公開された実写映画も公開3日間で50万人を動員しました。
歴史上には『キングダム』の信ように、低い身分から成り上がった人物が大勢います。
今回は、そんな頂点を極めた英雄たちの人生をご紹介。
「いやいや、過酷すぎるだろ…」というような状況でも必死に道を切り拓いた歴史上の人物を参考に、現代を生きるヒントを探しましょう!

1.農民から天下人に上り詰めた「豊臣秀吉」

日本で立身出世の代名詞と言えば、何と言っても豊臣秀吉
農民出身でありながら天下統一を果たし、知らない人はいないと言っても過言ではありません。
生まれたのは、1537年の尾張中村。15歳の頃に家を出て、1554年、織田信長に小者(身分の低い使用人)として使えます。

 

人脈も財産も何もない秀吉は、とにもかくにもアイデア勝負!
寒い日には信長が履く草履を懐で温めたり……。
台所を取り仕切って薪の量を減らしたり……。
城の石垣修理では部下同士を競わせて工期を短くしたり……。
頭脳をフル回転させ周囲に自分を認めさせます。

 

きっと小者仲間も、「秀吉さん、マジパネェっす!」と尊敬の眼差しだったに違いありません(笑)

 

そして、アイデアマンだけで終わらないのが秀吉のすごいところ。
浅井長政に裏切られ織田家が絶体絶命のピンチに陥った時には、殿(しんがり)を務めて主君を逃すなど、戦場でも結果を出します。
その結果、浅井家滅亡後には長浜城を与えられ、ついに城主に!
この頃になると「あの人と俺、親友(マブダチ)だから」と自慢げに語る、当時の小者仲間もいたのではないでしょうか。

 

その後、本能寺の変によって織田信長が家臣の明智光秀に討たれた時は、200kmの距離を10日で駆け抜け、光秀に勝利。
後継者争いも勝ち抜き、天下統一を果たします。

 

関白に就任し、大阪の地で栄華を極めた秀吉。しかし、全幅の信頼を置いていた弟・秀長の死を境に、歯車は少しずつ狂い始めます……。
朝鮮出兵の失敗と、甥・秀次の切腹。アイデアと胆力を武器に出世街道を駆け上がり、小者たちのヒーローだった秀吉は、もうそこにはいませんでした(涙)

 

そして1598年、次の辞世の句を残し、この世を去ります。

 

「露とおち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢」
――この身は、露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のように消えていく。
大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中でみる夢のようにはかないものだった…。

2.秀吉以上!?明国を創った「朱元璋」

中国にも、秀吉と同じように農民から成り上がった人物がいます。それが、朱元璋(しゅげんしょう)
彼は中国がモンゴル人によって支配されていた元朝末期、貧しい農家の末っ子として1328年に生まれました。

 

歴史モノの漫画で貧困具合を表す時、ボロボロの衣服をまとった兄弟がお腹を減らしている様子などがよく描写されますが、朱元璋の生活はまさに「困窮のきわみ」!
17歳の時には飢饉で両親と長男を亡くし、兄弟はバラバラ。食べるために出家して寺に入るものの、今度は寺の食糧がなくなる始末。もう毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際です。

 

施しを受けながらどうにか生き延びていたら、1351年、白蓮教徒が各地で反乱を起こし、紅巾の乱が勃発。朱元璋はこの反乱に身を投じます。
ただ、秀吉のように才覚で成り上がろうにも仕えた上司が最悪でした。嫉妬深くて、癇癪もち。「嫌われる上司ランキング」でぶっちぎりのNo.1みたいな奴だったのです(哀)。

 

それでも朱元璋は裏切らず、仲間や部下を大切にし、自身の経験から民にも優しく接しました。その人柄から、朱元璋は理想のリーダーとして、貧民の味方として勢力を拡大したのです。

 

と、ここまでならめっちゃイイ奴なんですが、この後、朱元璋は変わっていきます……。
貧民の見方として登場したにもかかわらず、1364年には紅巾軍と袂を分かち、地主や知識人といったエリート層の味方に。
「お前、ちょっと前までこっち側やったやん!」という声を無視して、民衆の反乱を鎮圧します。

 

そして、明国を樹立した後は重臣たちを次々粛清。
昔、僧侶だったことをいじられるのが嫌だったのか、「光・禿・僧という文字を使っただけで殺す」というあり得ない暴虐ぶりを発揮!
「困窮の極み」だった朱元璋は、「ゲスの極み」に豹変し、人気を地の底に落としたのです。

3.フランスの国民的英雄「ジャンヌ・ダルク」

フランスの国民的ヒロインと言えば、ジャンヌ・ダルク
1412年にドンレミ村で生まれた少女は、やがて幻視を見るようになります。現れたのは、大天使ミカエルと聖カトリーヌ。そして、ジャンヌにフランスの救世主となるよう告げたのです。

 

というのも、この頃フランスとイングランドは、100年戦争の真っ最中でした。
これは領地とフランスの王位継承権を争った戦いで、フランスはイングランドの支配下に降ろうとしていたのです。
そんな祖国の存亡の危機に「神の声」を聞いたジャンヌは、シャルル7世への謁見を望み、髪を短く切り、男性の服を着用し、敵地を突破します。

 

歴史を振り返っているのであまり違和感がないかもしれませんが、これは現代に置き換えると、田舎の女子校生が「神の声聞いたから、ちょっと首相に会わせてよ!」と言っているのと同じこと。
傍から見ると、「完全にヤベー奴」「関わっちゃダメな人」なんですが、王宮で神学者たちの審問を受けた結果、「この子は超イイ子」という結論が出され、17歳でありながらイングランド軍が包囲するオルレアンの軍隊に加わります。
「人は見た目で判断してはいけないな」と、王への謁見を止めていた人たちも思ったことでしょう。

 

こうして戦場に立つことになったジャンヌは、首に矢傷を負っても前線で指揮を執り続け、兵士を鼓舞。
「高2女子のくせに…」という屈強なオヤジたちの偏見も覆し、長く続いた包囲戦に勝利をもたらすのです。

 

その後の戦いでジャンヌは捕虜となってしまい、身代金と引き換えにイングランドへ移送されてしまいます。
そして、「お前、全然イイ子じゃないから。むしろ悪い子だから死刑な!」という異端裁判が行われ、有罪に。
民衆の前で火あぶりの刑に処せられ、19歳という短すぎる生涯を終えるのです。

 

100年戦争の終結後、ジャンヌは改めて無罪と殉教が宣言され、1920年にはカトリック教会によって聖人へと列聖されました。
フランスを救った10代の少女は、いまフランスの守護聖人の1人になっています。

4.まとめ

この3人に共通しているのは、過酷な運命に立ち向かい、自らの力で活路を切り拓いたこと。
類まれなアイデアや胆力、人徳により、普通では考えられないような偉業を成し遂げました。

 

でも、そうした運命を変える力は、本来誰しもが持っているものではないでしょうか。
いまも昔も、自分の道は自分で創るものだから。
むしろ平和な現代なら、ちょっとしたことで運命は簡単に変えられるかもしれませんね。